9マイルは遠すぎる……か?
一、
「……というわけで、本日は特別講師として、わが〈UNCLE〉養成学校の卒業生である、ミスター・ソロをお迎えした。
NY本部の特務課主任、ほまれ高きトップ・エージェント様だぞ」
教官の紹介とともに、トラディショナルにスーツを着こなした、南欧ふう顔だちの男が、ゆうぜんと教壇に歩みよった。
いならぶ生徒たちの間から、いっせいに拍手がまきおこる。
「えー、ただいまご紹介にあずかりました、ソロです。気がるに“ソロさん”と呼んでもらって、けっこう。廊下ですれちがっても、まちがっても“先生”なんて、呼ばないようにね」
と、まず軽く笑いをとっておいて。
「じつは、ぼくの直属上司であるウェィバリー課長が、きゅうに夏風邪でダウンしちゃいまして、急きょ代役が回ってきたんです。……相棒はいま単独任務ちゅうで、そのためぼくは特別休暇のはずで、ちょうど体があいてるのが、ぼくだけでしてね」ここでニヤリと笑い、ソロはつづけた。
「どうしても一日だけって、泣きつかれまして。この学校のある島の近くにあるリゾート・アイランドに、とびきりの可愛コちゃんとヴァカンスに出発直前だったんですが。彼女は先に行って、いまごろ海の向こうで、こんがり灼けて、水着一枚でぼくを待ってるはずですが……」
こんどは爆笑。教官のわざとらしいせきばらいを無視し、ソロは平然とつづけた。
「講義内容は、スパイ活動に関係あることならなんでもいいという、教官殿のありがたいお達しなんで、きょうは、論理的推理ってのをやってみましょう。なんでもない一言から推理し、どれだけ情報を引きだせるか。諜報部員には欠くことのできない能力ですから」
一拍おき、ソロは口調をあらためて本題に入った。おのずと生徒たちにも緊張が伝わる。
「有名だから知ってるかな、ハリイ・ケメルマンていう作家に『9マイルは遠すぎる』って、すぐれた推理小説がある。
街中でふと耳にした、
<<9マイルの道を歩くのは、容易なことじゃない。しかも雨の中なら、なおさら大変だ>>
って文章から、たくさんの情報を引き出し、ついにひとつの事件を解決する話だ。
きょうの講義は、ひとつアレを真似てみよう。例文は……そうだな……教官殿、なにかいい例文ありませんか? あまり長くない文章で、おねがいします」
ソロの野郎、にわか講師がなかなか板についてんじゃねえか、と言わんばかりに教室の後ろでニヤニヤ笑って見守ってた教官は、いきなりの指名にあわてた。腕組みし、ソロの顔を睨んでしばし考えてから、こう答えた。
「よし。じゃあ、こんなんでどうだ。……『ぼくだけ暗号課で、1ヶ月よけいにシゴかれた』」
ふたたび、教室を爆笑が充たす。ソロも笑いつつ、すかさず訊いた。
「教官殿、さっするところ、それはこの〈UNCLE〉養成学校の卒業生のことばですな?」
「さあてな。そいつを推理するってのが、この講義のねらいなんじゃねえのかい?」
「おっしゃるとおりです」ソロは笑って受け流した。
「教官殿、よい例文をありがとうございました。……どうだね諸君、さっそくひとつ、推理が成立した。おそらく、きみらの先輩の1人が、教官殿の前で口にしたセリフだろう、ということ」
ソロはホワイトボード用ペンをとりあげ、話しながら書きはじめた。
「では、この文章を、こんなふうに分解してみよう。
『ぼくだけ/暗号課で/1ヶ月/よけいに/シゴかれた』
判りやすくするため、『語り手:この〈UNCLE〉養成学校の卒業生』と仮定してしまおう。
……さて諸君、まず『ぼくだけ』ってことばから、どんな情報が読みとれる?」
いくつか手があがり、答がつぎつぎ出た。
- 「ぼくだけ」というのは「同期で−ぼくだけ」、つまり他に同じ指令を受けたものがないという意味だと思われる。
- 予想外だった。つまり、かれ自身が志願したわけではない。(本人の意思によるものなら、こんな言い方はすまい。発言全体が“受身”の形である)
- ということは、〈UNCLE〉上層部、あるいは暗号課からの、じきじきの指名。断るわけにはいかなかった。
- ややウンザリしたようだが、思い出すのもイヤなほどつらくはなかった。(教官のまえで口にしている)
- かれはとても優秀だった。同期トップの成績だったかもしれない。(同期で1人だけ、じきじきに指名された)
- または、とても特殊な才能の持ちぬしだった。(暗号課、ということから)
「いいぞいいぞ、出だし快調、面白くなってきた」
ソロはつぎつぎに答をボードに書きながら、早口に言った。
「つぎの『暗号課』ってことばには、すこし説明が要るから、『暗号課』『1ヶ月』ってことばはすっとばして、先に進もう。
『よけいに』からは、どうかな?」
- もう卒業したのに。(結果的には、同期で1人だけ、卒業が1ヶ月延びた)
- ほかの者は、やらなくてもいいことなのに。
- 卒業するだけでも大変だったのに、まだあるのか……うんざりした気持。
- 期待されてるのはうれしいが、せめてすこし休ませて、そのあとにしてほしい。
- がんばって優秀な成績をおさめたのに、おかげで、かえってゴールが遠のいてしまった。ふくざつな気分。
- 「ぼくだけ−よけいに」とつづけて、みんなは帰れていいなあ、なんでぼくだけ、という気持。でも「ぼくだけ」指名されたんだから、がんばらなくちゃ、という気負い。全体に、ぼやいてるようでいて、誇らしげな気配がある。
『シゴかれた』
- きびしかった。教官がスパルタだった。(暗号課だけではなかろうが、とくに)
- 期待されてるのを感じた。だからこそ、よけいつらかった。
- 「暗号課でシゴかれた」と言っただけで、どんなに大変だったか、聞き手に判ってもらえるだろうという期待。
- こなすべき課題が山のようにあった。しかも、猛烈にむずかしかった。
- まちがいの指摘や採点が、細かく、容赦なかった。
- 同期生たちは卒業してすでに島を去り、周囲は、教官や先輩たちばかり。「ぼくだけ」たった1人でたくさんの課題をこなす、孤独な日々。
- 短期間に、おぼえなくてはならないことが多かった。それまでにない、特殊技能を身につけなくてはならなかった。(しかも、1ヶ月間で)
- 暗号課という、とくに機密保持のきびしい課のため、うっかり外部の者にグチもこぼせなかった。あるいは、あまり外部の者と会わせてもらえなかった。そのため、ストレスがたまった。
「よろしい。とりあえず、このくらいにしておこう」
ソロはいったんボードに答を書きとる手をやすめた。
「諸君、なかなか優秀だね。たのもしいことだ。
……つぎはいよいよ、『暗号課』の説明に入ろう。きみたちの手元にあるテキストの『〈UNCLE〉組織図』に、暗号課ってのは書かれてないはずよ」
教室のあちこちから、テキストをめくる音がしはじめた。
ソロは、壁にかかげられた大きな組織図をスティックで示しながら語った。
「公式には、こうだ。
〈UNCLE〉……1課/政策 2課/作戦 3課/特務 4課/通信 5課/保安・人事
または、1〜4課は上に同じだが、5課/保安 6課/人事・宣伝 7課/財政・偽装
……とまあ、こうなってる。
これについてはすでに講義を受けたと思うが、おさらいしときますか。
組織体系が2種あるのは、〈UNCLE〉は世界各国に本部があり、人数や規模の大きさが、国の大きさによって、じゃっかん違うためだ。
問題の『暗号課』は、どの本部にも属さない、ひとつの独立した機関だ。所在地がどこかも、必要がないかぎり明かさない規則だ。いまは、そういう特別機関があるということだけ、知っておけばいい。だれかがさっき指摘したとおり、特殊な内容の仕事だし、機密保持には特別うるさい課なんで、あまり多くを語るわけにはいかないが……」
(ほんとうは、暗号課はこの島の中にある。この養成学校とは島の反対側の、地下にあるのだが、そこまで説明する必要もなかろうとソロは思った)
そのとき、生徒のひとりが手を挙げ、こう質問した。メガネをかけ、みるからに頭のよさそうな若い男だった。
「暗号課で1ヶ月、というのは、当初からそういう予定だったんですか?
それとも何かの事情で、1ヶ月でとつぜん終了してしまったんでしょうか?
これは、この例文だけでは推理できませんし、それによって答も変ってくると思うんですが……」
「いいとこを突くね、きみは」ソロは微笑した。「教官殿、その点はどうです?」
「たぶん……」教官は、考え考え答えた。「たしかに口の堅えのがそろってる課だから断言はできねえが、ハナから1ヶ月の予定だったんじゃねえかな。……ま、そういうことで話を進めていいんじゃねえか? どうせ仮定の話なんだろ?」
判りました、と教官に軽く礼をのべ、ソロはつづけた。「というわけで、かれの暗号課での1ヶ月は、当初からの予定だったとする。『暗号課で1ヶ月』、これは、ひとかたまりで扱うこととしよう。ここから推理できる情報は?」
ふたたび、いくつもの手が挙がった。
- ということは「暗号課で1ヶ月シゴいたが、かれは使いものにならないと判ったので、もういらない」ということではなかった。なぜなら、卒業したあと1人だけ居残りでシゴかれたあげく、そんなふうにお払い箱にされたのなら、教官に向かって「ぼくだけ〜よけいにシゴかれた」などと、さらりと口にするとは思えない。
- その1ヶ月間だけ、暗号課には、かれが必要となる特別な事情があった。
- それは、養成学校を出たばかりのかれでもつとまるような事情だった。
- それは、内容はともかく、いまでは「そういう時期があった」と“暗号課外の者”に話してもかまわない事情だった。(教官といえども、暗号課にとっては課外者なのだ)
- それは、急に発生した、突発的な事情だった。でなければ、養成学校を出たばかりの(若く/未熟で/卒業したばかりで疲れ果ててる)者でなく、どこかからもっと適当な人材を探すことも出来たろうから。
- それは、暗号を解く能力がかれにありそうだったから、ということばかりではない。(いくら優秀で、きびしくシゴいたって、1ヶ月でどれほどのことが習得できようか?)もちろん、それらも必要な条件だが、もっと他に、なにか「かれでなければならない」ような、絶対条件があった。
- かれは、いまは暗号課に所属してるわけではない。(それいらい、ずっと暗号課に所属してる者なら、わざわざ「暗号課で1ヶ月」などと区切るまい)
- ただ、1ヶ月シゴいて基礎は身につけさせたので、もしまた似たような“事情”が発生したら、かれが助っ人として呼ばれることはありうる。……というより暗号課としては、もともとそのつもりで、かれをシゴいたのだろう。
しめくくりには、さきほど「暗号課で1ヶ月は当初の予定か、そうでないのか」と質問したメガネの生徒が起立し、こんな結論を出した。
「かれはおそらく、外国人だったと思います。あるいは、ある外国語に精通していたのではないかと。それも、突発的事情が発生したからといって、すぐに代りを呼び寄せるわけにいかない国の、です」
ソロはニヤリと笑い、肯定も否定もせず、手ぶりで先をうながした。その生徒は、熱心な口調でつづけた。
「暗号課のなかで、その国のことばを担当する者になにか事情が起き、使えなくなった。
もしくは突然、その国のことばを利用したらしき暗号が、たくさん送られてくるようになリ、処理が追いつかなくなった。
暗号課としては、一刻も早く、その暗号を解明したかった。
ちょうど、その時期の卒業生に、その国出身の者、またはその国のことばにくわしい者がいると判った。
かれは疲れていたろうし、やっと卒業してホッとできると思ったのに……とゲンナリしたろうし、ぼくは暗号課志望ではありません、と断ったかもしれない。が、なんとか1ヶ月だけ、代りの者が見つかるまで、とでも口説きおとしたのでしょう。
そんな事情なら、『1ヶ月』という期間も、かれが養成学校を卒業したばかりの未熟者でもかまわなかったことも、すべて説明がつきます。かれの母国語、ないし語学力が、必要だったんです。
そしてぼくが思うに、その国とは、おそらく……」
そこまで聞くとソロは手をあげ、かれの熱弁をさえぎった。
「そこまででいいよ。どうせ仮定の話だ。……それにしても、みごとな結論だ。きみの推理力は抜群だね。感心した」
ソロが拍手しはじめると、教室じゅういっせいに拍手の嵐がまきおこった。その生徒は、顔を真赤にして着席した。
ソロは眉をあげ、もう一言だけつけたした。
「おそらくきみも最優等生だろうが、ここを卒業するとき、きみだけ、なにか『居残り特訓』を命じられるかもしれんよ。覚悟しときなさいね」
……かれは肩をすくめ、たちまち拍手はドッとわく笑い声に変った。
「きょうの講義は、以上だ。ぼくにとっても実り多い、よき時間だった。ご静聴を感謝する」
会釈し、ソロが教壇を下りるとき、教室は心からのあたたかい拍手につつまれた。
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