神聖ヰリヤ帝国・TOPへ〈UNCLE〉養成学校で1日講師をつとめたソロが、過去の牢番のなぞの死と、奇怪な暗号を解きあかす。

9マイルは遠すぎる……か?

五、

「……なんだソロ? 朝一番で発つんじゃなかったのか?」
翌日おそく、教官の部屋の扉の向こうから、ひょいと顔を出したソロをひとめ見たとたん、教官はそう口にした。 苦りきった顔で、ソロは答えた。
「それが、ヘリコ発着所に爆弾物がしかけられたらしいって情報が入ったそうで。いま、危険物処理班が調べてます。物資輸送の船は来月まで来ないし、そんなわけで、しばらくこの島から出られそうもない。仕方ないから退屈しのぎに、きのうの続きをやろうと思いまして。いいですか?」
「そいつぁ、ちょうどよかった。きょう、おれ担当の演習は午後だけで、午前中まるまる体が空いてんだ。入れよ」

「よっしゃ。まず、カーロフのノートは探しといたぞ。こいつだ」
それはどこにでもある、ありふれたノートだった。さいしょ2、3ページには、意味不明の、幼児の落書きのようなもの。そしてそこから後は、まったくおなじ図形が、何ページにもわたってえんえんと描きなぐられていた。
それは、こんなふうな絵だった。

図1 カーロフのノートの絵「なるほど……不気味だ」
ソロはうなった。
「たしかに、絞首台と、松葉杖に見えますねえ……」
ソロはノートをしげしげ覗きこみ、しきりと首をひねった。
「絞首刑になる、リンチで吊るされる、松葉杖が必要になるようなめにあう、お前の正常なほうの脚もへし折って、歩けなくしてやる、そんな脅しにあってたってことですか?」
「いや、絞首台はともかく、松葉杖はどうかな。もともとカーロフは、脚ひきずってたんだ。だったら松葉杖は、2本必要になるはずだろ? わざわざ片方、1本しか描かなかった理由はなんだ?」
「カーロフ殿が脚をひきずるようになった原因と、関係あり? なにかその時、すでに恐いめにあわされて……」
「でも、奴が片脚きかなくなったのは、例の、この島に流れ着いた船が難破したときの大ケガが元だそうだぜ。あのとき奴を診た医者が言ってた。脅しとは関係ねえと思うが」
「ふーむ……」
ソロはひとしきりため息をついたあと、ふと口にした
「もしかしたら、カーロフ殿自身が描いた絵じゃ、ないかもしれない」
「たしかに。カーロフといちばん親しかったおれでさえ、カーロフがなにか描いてるとこなんて、一度も見たおぼえねえからな。カーロフが描いたとしても、いつ描いたかも不明だ。……しかし、それを描いたのがカーロフでないってんなら、わざわざそんなヘタクソな絵で脅す理由はなんだ?」
「じゃあ……カーロフ殿自身が描いたとしたら、かれはなぜ、こういうものの“形”を知ってたんです?」
「そこが、最大の謎なんだよ。ここは〈UNCLE〉のヒヨッコたちの島だ、絞首台なんてもんはねえ。松葉杖ぐらいなら、病棟に行きゃあるだろうが。そういうもんが出てくるような本や、映像は、資料室に行きゃあるかもしれんが、カーロフが出入りできる場所じゃねえ。だいいち、奴は本や映像に興味をしめしたこともねえ。奴の頭ん中にゃ、本当にチェスのことしかなかった。……ってこたぁ、この島に来る前に、なんかあったってことになるな。〈UNCLE〉に関わる前の話じゃねえか。なぜだ?」
「うーむ」
「かりに、脅されてたのが本当だったとしても、敵はいつ、どこで、どんなふうにカーロフに接したんだ? ほんとにこの件は、判んねえことだらけなんだ」
「……いや、もしかしたら脅しとは無関係で、カーロフ殿は子ども時代のなにか強いトラウマを、思わず絵にしてしまっただけかもしれない。絞首台や、松葉杖と、関係あるような……」
「その程度のことならおれだって、さんざ考えたさ。たしかに、その可能性なら否定できねえ。だが、そいつを証明できるか? おれは確証がほしいんだ。どうだソロ、降参か?」
「ふーむ」
「ほーら見ろ。雲ぉつかむようだろ。ざまあみろ、このおれだって何年も首ひねってんだからな」
ノートに見入り、腕を組むソロを楽しそうに横目で見やりつつ、教官はコーン・パイプを取り出し、ナイフで火皿の焦げをがりがり削りはじめた。
やがて、あきらめたようにノートを閉じ、ソロは顔をあげた。
「ちょっと視点を変えてみましょう。イリヤが、カーロス殿のチェスの駒を拾ったって時のことは、思い出せました?」
ふっと削りクズを吹き飛ばし、教官は答えた。
「ああ。けさ夢うつつにそのこと考えてたら、眼がさめる直前、はっきり思い出した」
教官の話は、こんなふうだった。



養成校にソロ在籍のころは、この教官のほかにも数名、チェスの強い教官がいた。
だがイリヤ在籍のころには、たまたまそんな教官たちが異動や、定年などで、つぎつぎ島から去った直後だった。新任の者は、たとえチェスをたしなんでも、さほど強くない者ばかりだったという。
「あのころ、この島で本気でカーロフのチェスの相手できるのぁ、このおれだけになっちまってた。カーロフは、奴なりにさびしかったんだろう。あのころ、おれの顔さえ見りゃ、ひと勝負いどんできたもんだった。
そんなある日の昼休み、おれとカーロフは、例によって一戦まじえてた。天気がよかったから、官舎のウラ庭でな……」

そこへ電話がかかってきて教官は呼び出され、ほんの数分、席をはずした。
戻ってくると、勝負途中の盤面を前に、カーロフがぼうぜんとすわりこけていた。
いったい、なにを見たんだろうと思うような、夢見るような眼つきだったという。

「おれはカーロフの視線の先を追った。あの坊やのうしろ姿が遠ざかってくとこだった。あの見事な金髪は、見まちがえようもねえ。もしや、禁じられた私語でもかわしやがったかなと、おれはすぐ追っかけて問いつめた。
あのときも、坊やはきっぱり答えた。『何も話してません教官殿。ちょうど横を通りかかったとき、カーロフどのが駒を地面に落とされたので、拾ってさしあげただけです』ってな。ちょうど見える位置に立ってた歩哨にも、おれはたしかめてみたが、たしかに坊やの言うとおりだった。……で、無罪放免だ」
「それだけですか?」
「ああ。それだけだ。おれが忘れ果ててたの、無理ねえだろ?」
「たしかに……」
「でもよく考えると、たしかにそのころからだよ、カーロフの態度がおかしくなったのぁ。もともと無口な奴が、ますます無口になっちまって。おれとのチェスも、なんだか上(うわ)の空で。つまんねえケアレス・ミスで、奴らしくもなく、あっさり敗けちまったりな」
「……?」

しばし考えこんだあと、ソロは慎重な口調で言った。
「ひとつ、みょうなことに気づきました。……カーロフ殿って、ほとんど字が書けなかったんですよね?」
「ああ」
「絵を描いてるのも、見たおぼえないと、先刻おっしゃいましたよね?」
「ああ、そうだ」
「だったらカーロフ殿は、なぜノートなんて持ってたんです?」
一瞬、教官は絶句し、やがてぽんと膝を叩いた。
「そうそう、思い出した。まえにヒマつぶしに、おれがカーロフにABC教えてやろうとした時期があってな。筆記用具は、その時おれが、カーロフにやったもんだ。ほんの2、3日で、飽きてやめちまったがな。なにしろ野郎ときたら、ひと晩寝りゃすべて忘れちまって、まるでザルで水汲んでるみてえだったからなあ」
「とすると、このノートのさいしょのほうに、のたくってるミミズさんの群れが、ABCですか。はあ、言われてみれば……」
ソロはあらためてノートに見入り、教官はさらにつづけた。
「ついでに思い出した。あの金髪坊やが船で島を離れる日の、前の晩だった。官舎で、おれの授業の受講者名簿から坊やの名を消そうとしてたら、めずらしくカーロフが入って来て、おれの前へ立った。奴なら文盲だし、名簿をのぞいても問題なかろうと、おれは大目に見た。おれが消そうとしてる行を指さして、野郎、いりや、いりや、とめずらしく片言でしゃべりやがった。そうだ、よく読めたなって、おれはほめてやったっけ」
「……」
「おれの知ってること、思い出せることは、これでたぶん、すべて教えてやった。さあ、推理してみやがれ」



さてそれから午前中いっぱい教官とソロはノートを前にああでもないこうでもないと意見を交換し古今東西の暗号の知識をならべたて〈THRUSH〉のこれまでの手口を思い出してはあれこれ検討し……

それは刺激的で面白い会話ではあったが、かんじんの謎の解明には、一歩も近づけなかった。
昼休みになった。教官は、質問があるんですが、と練習生のひとりに呼び出された。その間にソロは、ヘリコ発着所のようすを見に行った。
教官が自室に帰ってきたとき、ソロはまだ戻ってなかった。呑み明かして睡眠不足の翌日、午前いっぱい頭を使いすぎたせいか、ずきずき頭痛がしてきた。むかえ酒で、食堂からもちこんだサンドイッチを胃に流しこみつつ、陽あたりのいい窓辺の椅子にすわり、カーロフのノートに見入っているうち、強い眠気がきざし……

……夢うつつに、なにかふしぎな連続音が聞こえ、すぐ近くから声がした。
(教官殿、……あれ、寝てるのか。やっと発着所が使えるようになったそうです。ヘリコを待たせてるので、申しわけないが、ぼくは帰ります。例の件は、休暇中にぼくも、もう少し考えてみます。だからゆうべのお約束どおり、そのノートをお借りし…たい……と…………)
ああいいよ、と答えた気がする。まだ眠くて、眼がよく開かない。あのノートはどこだったか、寝る直前までひらいて、見入ってた気がするが……

みょうな間(ま)があって、教官はようやく、はっきり眼をさました。
ふしぎな連続音は、ヘリコプターのプロペラ音だと判った。
目の前に、ソロがぼうぜんとたたずんでいた。ノートは、教官のひざの上に開かれたままだった。そのノートを、まじまじと見つめていたと思うと、ソロはだしぬけに言った。
「……わかった……!」
「なんだと?」
「たったいま、すべて判りました。その、ノートの絵の意味。カーロフ殿に、なにが起きたか。カーロフ殿と、イリヤの間に、なにがあったか……」
「お……教えろソロ。早く、話せ!」
「いまはダメです。ヘリコを待たせてると言ったでしょ」ソロはきっぱりと、しかしやさしい口調で言った。
「話すと、長くなっちゃいますから。……一言だけ教えてさしあげます。カーロフ殿は、無実です。裏切り者でも、情報提供者でもありません。すべては不幸な偶然の、重なり合いだったんです」
「この野郎、気ぃもたせやがって……待てよ、おい、ソロ!」
「こんどの休暇、ぜひNYへおこし下さい。街を案内がてら、解決篇をじっくりお話ししてさしあげます。……あ、そのノートは、けっこうです。なぞが解けたいま、ぼくにはもう必要ありませんから。では失敬」
「ソロ! きさま!」
ソロは笑いながら手荷物を下げて走り去った。
ヘリコのプロペラ音が空に吸いこまれるように小さくなっていく間、教官は窓からそのヘリコを見上げ、声が枯れるまで、あらん限りの罵声を浴びせかけていた。

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