神聖ヰリヤ帝国・TOPへミスター・ソロの新しい相棒は、ロシアから来た、金髪碧眼の、多才なる美形。
その新しい相棒の、はじめての任務の大失策。
ソロの頭の中に、なぜか警報が鳴りわたった。

おびえた仔犬を救出せよ(はじめてのミッション)

一、

その男とはじめて会った時、ソロはまず、細身で小柄なのにおどろいた。
ソロがそれまで出逢ったロシア人てのは、クマみたいな大男か、でなければ手脚のひょろ長い、長身の者ばかりだったから。……ロシア人て、冗談好きで大味な呑んべえばかりでもないんだな、とソロは思った。

服装は細身に仕立てたインク・ブルーのダーク・スーツ、スーツとおなじ色目の細めのネクタイ、つま先の尖った黒靴。
さいきん流行のスタイルを取り入れていて若々しいが、髪だけはビート族ふうに伸ばしていないため、軽薄に見えない。みるからに趣味が高く、神経がこまかそうだ。
すばしこそうな脚の線には、鍛えた気配があり、いわば一種の機能美があった。いまは行儀よく鞘におさまってる懐剣みたいなするどさが、若々しいうなじや、肩あたりから発散している。
こちらに歩み寄ってくる足運びも、鍛えた兵士のようにスキがない。そういえばロシア海軍にいたんだったっけ……ソロは以前、課長に見せられた、かれの履歴を思いかえしていた。

そのくせ、すぐ目の前に立たれ、見上げてこられると、冷たいほど端正な造作の中で、見るからに感じやすそうな碧眼が、きらきら乱反射してるのが印象的だった。広いひたいに、斜めに流したプラチナ・ブロンドの下で、その大きな眼が、わずかに笑みをたたえた。この眼がいま、自分にだけ向けられてると思うと、国宝級の細工物でもいきなり掌に乗せられたようで、ソロはおちつかなくなった。背後に、課長が興味しんしんで見守る気配をかんじた。
「はじめまして、ソロさん。イリヤ=クリアキンと申します」
わずかにロシア訛りの残る、しかし良い教師について学んだらしい、きちょうめんなキングス・イングリッシュ。
声にも、しぐさにも、女々しさはみじんもない。そのくせ細い肩あたりから、水仙花のようにみずみずしい、涼しい可憐さがただよう。つい手を伸ばしてみたくなるような、ちょうど抱きごろの肩幅だな……ソロは頭のすみでぼんやり、そんなことを考えていた。

握手した手は、体のわりに大きく、器用そうだった。
「よろしくね、クリアキンくん。きみ、たまに弦楽器を弾く? バラライカではなさそうね……ギターかな」
「……?」
イリヤの手を握ったまま、ソロは指先でかれの掌をさぐり、占い師のような神妙な口調でつづけた。
「運転歴も長い。機械いじりも好きだね。……ああ、土いじりもするんだ。ロシア人はみんなそうだって聞くけど」
「……」
「ロシアでは右手にエンゲージ・リングするって聞くけど、これもそうなのかい?」
「おどろいたなあ……握手だけで、そんなに判っちゃうなんて」
イリヤはおそろしげに手をひっこめた。笑いながら課長が歩み寄ってきて、二人の肩に手を置いた。
「はははは、シャーロック=ホームズのようじゃろ。うちのトップ・エージェントは、ざっとこんなもんじゃ。ご婦人が相手なら、もっと冴えるぞ」
イリヤはあらためてソロを見上げた。その眼に尊敬の色が浮かんだ、と思うや、全開の笑顔になった。とたんに神経質そうな気配は消え、透明に、明朗になった。つりこまれるように、ソロも笑みをかえした。幼児を通りこして上機嫌の赤ちゃんみたいね、とガール・フレンドたちにからかわれる、極上の笑顔で。
「ソロさんのおっしゃるとおり、ぼくはギターを少しやります。車の運転と修理、銃いじりも趣味です。ダーチャ(※郊外の菜園つき別荘。別荘といっても、庶民が自分で建てる、木造の小屋であることが多い)での野菜作りは、たしかにロシアの習慣です。……おそれいりました。イリヤって呼んでください」
「ナポレオンでいいよ。長けりゃ、ソロでも。……で、イリヤ、その指輪は?」
「ああ、これ」
はにかんだ笑顔で、イリヤは右手を上げてみせた。くすり指に細い金の指輪が、きらりと光る。ちょうど、イリヤの髪とおなじ色をしていた。
「そこにいる課長さんから、着任祝にいただきました。ぼくには、ちょうどこの指にしか合わないので……。ぼくの母がむかし、課長さんに贈ったものだそうです。裏に『ИよりСへ 露西亜より 愛をこめて』って彫ってありました」
「あらら……やりますなあ、課長も」
課長は、かれ独特の長い眉の下で、ウインクしてみせた。
「なに、彼女の家代々の指輪だと聞いてたもんでな。あるべきところへ返したまでじゃよ」



こんどロシアから来る新人について、課長はあまり、多くを語りたがらなかった。
かれの母親とは戦時中、けっこう深い仲だったことがある、と語っただけだ。
「あのう、ひとつだけ教えてください。……かれの父親は、どなたで?」
ソロがそう尋ねると、課長はにやりと笑い、こんなふうに答えた。
「かれのコードネームは、002を与えることに決定しておる」
ソロは息を呑んだ。課長のコードネームは、001だ。最前線の課のトップなのだから、当然だろう。そのすぐつぎの番号002とくれば、これ以上ない、特別待遇を意味する。この事実だけで、とくに通達なしでも、即日〈UNCLE〉全課に、その重大さは知れわたることだろう。
「なるほど……それが答ってわけね。課長もすみにおけませんなあ」
課長はただ、無言の微笑で答えた。
その会議の立ち去りぎわ、扉から一歩踏み出したあたりで、課長はみょうに気になる口調で、こう言い残した。
「任務を遂行しつつ、〈イリヤを護る〉と同時に、〈イリヤから、周囲を護る〉。わしはきみに、それを期待しておるよ、ミスター・ソロ」
「か……課長、それは、どういう……?」
「いまに判る」
静かに、きっぱりとそう言いはなつと、課長はソロに背を向けて立ち去った。ソロはゆっくり目の前で閉まってゆく扉を、呆然と見ていた。



「ミスター・クリアキン、〈UNCLE〉養成所で仕込んだら、すぐ現場で実戦に慣れてもらうからの。それだけ英語が達者なら、授業にもじゅうぶん、ついていけるじゃろう。実践はベテランのミスター・ソロがいっしょだから、心配いらんし。あれが、きみの備品じゃよ」
言いながら、課長が卓上に置かれたダンボール箱を指でしめすと、イリヤは歓声を上げてガン・ホルスターをまっ先に取り出して手早く身につけ、銃の弾丸ごめをし、くるくる消音器を装着し、楽しげに磨きはじめた。
その他の備品には、見向きもしない。さきほど指輪を見せたときの、恥ずかしそうな笑顔はもう、どこにもなかった。
ソロと課長は、眼を合わせて微笑した。
「ふむ。こんどのヒヨコちゃんは、なかなか使えそうですな」
「なに、まだまだ経験不足の青二才じゃよ。よろしく仕込んでやってな」
立ち去りぎわ、課長はソロにしか聞こえないような小声で言い足した。
「……どうじゃ、きみの大好きな、ブロンドのクール・ビューティが毎日おがめて、うれしいじゃろ」
「へんなこと言わないでくださいよ〜」
「ははは、それならいい。期待しとるよ。とくに、きみの女好きの本性にな」
楽しげに立ち去る課長の背に向け、小声で、ソロはくやしまぎれにつぶやいた。
「ここで受付してる、姪(めい)ごさんが金髪でなくて、ようございましたな……おじさま」

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