神聖ヰリヤ帝国・TOPへミスター・ソロの新しい相棒は、ロシアから来た、金髪碧眼の、多才なる美形。
その新しい相棒の、はじめての任務の大失策。
ソロの頭の中に、なぜか警報が鳴りわたった。

おびえた仔犬を救出せよ(はじめてのミッション)

四、

イリヤは、〈UNCLE〉専属の病院にかつぎこまれ、そのまま入院した。
イリヤの体調を気づかっての処置というより、むしろ未知の毒ガスが人体に与える影響のデータ採取の絶好のサンプル、という意味あいが強かった。……そういうものなのだ、諜報部員とは。
分析の結果、やはりその毒ガスは、ひとの恐怖心を極限までたかめる作用をもつ、特殊なものだったと判明した。

「課長、拉致されてった彼女のほうは、大丈夫ですかね。おなじ部屋でおなじ毒ガス、吸ったんでしょ。イリヤは休ませといて、ぼく一人で救出に行ってきましょうか」
「まあまあ、あわてんでいい。彼女もすぐに生命をとられるようなことはあるまい。殺すつもりならわざわざ、彼女の男友達の名をかたって贈った菓子箱に毒ガスをしこんだうえ、拉致するなぞという手間はかけず、あの場でさっさと始末しとるじゃろうからな」
「たしかに……しかし」
「あちらさんも、あの毒ガスの効果のデータが欲しいんじゃよ。いまのイリヤとおなじように、今ごろきっと、彼女もデータを採られておるよ。そういう意味では、かえって安全じゃろ」
「ですが……」
「ソロくん、単独行動は許可できんよ。イリヤが回復するまで待って、汚名挽回のチャンスを与えてやりなさい。さいわいあの毒ガスは、とくに強い後遺症は残さないようじゃから。なんといっても、イリヤはきみの、相棒、なんじゃからな」
課長は嫌味たっぷりに、「相棒」の一言に力をこめて、話をしめくくった。
ああそうですか。まったく課長は、イリヤには甘いんだから。ソロは内心でそう毒づいた。



となると、このミッションは一時休止、イリヤの回復を待つしかない。
体をもてあまし、ソロは夜の街に出、ひたすら痛飲した。

イリヤのドジのおかげで、拉致されて敵方に捕らわれてる、あの娘の身が心配でたまらない。
だから、おれは、こんなにいらだってる。
何度も自分にそう言い聞かせてはみたものの、あのときのイリヤの、乱れたプラチナ・ブロンドの奥で真赤に泣きはらした碧眼、幼女のようにおびえて必死にあとじさっていた姿が、うるさい羽虫のように眼先にちらつき、いくら呑んでもちっとも酔えなかった。
今夜はさぞかし寝つきが悪いだろう。あいつのせいだ。つくづく、いまいましい。

マロキオ。……むかし、おばあちゃんがよく、イタリア語でそう言ってたっけ。
ソロは子どものころを思い出していた。英語でいうエヴィル・アイ、すなわち邪眼。本人に悪意はないのだが、ひとを見つめることで災いを起こしたり、病気にしたり、弱らせたりする視線の持ちぬし。
グラス片手に、ひとさし指を中指と交叉させ、魔よけの十字を作ってみた。邪悪な気配を感じたらこうなさいと、子どものころ、おばあちゃんから教わったように。

とうとう酒場を出、ある女に電話し、深夜、その部屋を訪れた。
ソロとおなじ南欧の血を引く、黒髪、黒い瞳の女だった。
扉が開くなり、お願いだロザリンダ、なにも聞かず、足腰たたなくなるまで、うんざりするほど、ぼくを愛しておくれ、きみを愛させておくれ……とだけ、言った。
彼女は喉をそらせて笑うと、下眼づかいにソロを見、いらっしゃい、とひとこと言い、また笑った。
挑むような眼つきのイタリア女らしさに、ソロはほっとした。
東洋系の女はこんな時、つつましく顔をうつむけ、小動物のような上眼づかいでこちらを見上げてくる。もしもいま、そんな眼つきをされたら、思い出したくないものを思い出してしまう、おれは……壊れてしまう?
壊れる……? イリヤを護るのは、イリヤから周囲を護るのはこのおれ、壊れてなどいられるか。そんなに酔ったのか、そんなに疲れていたのか、おれは……? 酔っているのは酒にか。疲れているのは任務にか。ほんとうに、そうなのか……?
ああ、何を考えてる……?

何か、目の前にちらつくものを跳ねのけ、かきわけるような手つきをしつつ、ソロは彼女に歩み寄っていった。ようやく酔いが一気に回ったようで、足がもつれる。彼女は大きな花束でも受け取るように両腕をのべ、そんなソロをしっかり受け止めてくれた。
寝台に倒れこんだあとも、彼女はまだ笑いころげていた。
笑うと、堂々たる胸が揺れ、巻毛の黒髪が揺れた。その豊かな胸に顔をうずめていくと、体の底から、溶ろけるような熱い安心感がこみあげてきた。
彼女は正しくイタリア系マンマの作法で、「可愛い、可愛いわたしの坊や……」とささやきながら、熱烈な接吻の雨を、体じゅうに降りそそいでくれた。
彼女の唇からも胸からも髪からも、腋からも、繁みからも、体の深奥からも、遠い故郷の匂いがした。
海とオリーヴと葡萄、白い大理石造りの家々、夾竹桃の紅い花。どこからどこまで極彩色、濃厚な光あふれる、南の祝祭。
北の国の淡彩、針葉樹の林、しんと静かな気配なんて、どこにもない。……素晴しい!
ソロはようやくすべてを忘れ、疲れ果て、ぶったおれるように眠ることができた。



……その後、拉致されていった博士の娘はぶじ助け出せたし、例の毒ガスの大規模な製造施設を破壊することにも成功した。
結果からすれば、イリヤとの初めての任務は、まあまあ合格点に終ったといえる。
そのミッションが終るころには、イリヤは相棒を「ソロさん」ではなく、「ソロ」と呼びすてにするようになっていた。


『おびえた仔犬を救出せよ』(了)
2005.6/16

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