神聖ヰリヤ帝国・TOPへ英国の田園に建つポーロック館の“迷路”にかくされた、生ける宝物。
それは、もちろん…?

失楽園之記 〜ポーロック館のパートリッヂ一族〜

一、

それは、イリヤとソロが相棒となってしばらくのち、イリヤが仕事に慣れ、はじめのころほど大ポカもしなくなり、一人前の諜報部員らしくなってきたころのことだった。

その朝、その光景を見たとき、ソロはふと胸さわぎをおぼえた。
〈UNCLE〉の隠し通路の入口にある、カモフラージュのための仕立屋「デル・フローリアス」正面に、イリヤの車が停めっぱなしになっていたのだ。
ここへ来る道すがら、ふだん見なれないバスとすれちがったのを、思い出した。ロンドンの街なかを走ってるような、真赤なダブル・デッカー(二階建バス)だった。それが、あまりにも白昼堂々とNYの街なかを走ってたので、かえって警戒しなかった。ふうん、今日はどっかで英国関係の催しでもあるのかな……その程度にしか考えなかった。
そして、オフィスに到着してみると、路上に置きざりにされたイリヤの車を見つけたのだ。
よほどのことでもないかぎり、愛車を駐車場にも入れず、放り出していくような奴ではない。おかしいな、ここへ来るまでに緊急連絡は入らなかったけど……まさか、おれの無線機の故障? あわてて〈UNCLE〉オフィスに駆けこんだが、べつだん、いつもと変りない。いや、ひとつだけいつもとちがう、イリヤのすがたがどこにも見あたらないのだ。
なにか、ひりひり嫌な予感がつのってきた。

そうして……ウェイバリー課長にそれを報告し、あれこれ話し合っている場に、ある荷物が届けられた。
ここに届く荷物はすべて、極秘通路の入口で、爆発物が仕込まれてないか、まず検査してから回されてくるが、その点に異常はなかった。
凝った作りの、造花の果樹だった。枝には、イリヤの身分証明書がくくりつけてある。てっぺんには玩具の小鳥がとまっており、背中を押すと、録音されたメッセージをさえずり出した。
キザなほど正確な発音の、キングス・イングリッシュ。もったいぶった言い回し。
なにより、その声に、ソロは聞きおぼえがあった。

『ヰリヤ君はたしかに、お預かり申した。雌伏すること七年(とせ)、今ひとたびの御目もじ。いまぞ訪れぬ、甘美なる復讐の刻。そはパートリツヂの執念なりや……』

「七年前? パートリッヂ?……ああ、思い出した」
かれは英国貴族の出で、南米の奥地に、ザナドゥと名づけた、本人いわく「夢の楽園」をきずいていた。いっときは、かなりの成功までおさめていたという。奴は大航海時代にでも生まれてたら英雄だったかもなあ。あのころ、以前の相棒・ハンクと組んでたソロは、そんなふうに、奴をサカナに、酔っては二人で笑いころげたものだ。
結局のところ、無知なおまえらを啓蒙してやるといわんばかりの、時代錯誤の帝国主義的おしつけがましさが、現住民の反感を買ったらしい。反対派の台頭、王の暗殺未遂、弾圧、暴動、〈UNCLE〉への密告、そして介入。ありきたりの結末とともに、夢の王国ザナドゥは、わずか数年で地上からすがたを消した。
かれはハンクとソロに追われ、奥地へ奥地へと逃げ、最後は追いつめられて〈雨の森〉へと逃げこんだ。〈雨の森〉……かつて入って生還した者はひとりもないという、すさまじい密林。邪教の、呪われた聖域。わざわざ危険をおかして死亡確認に行く必要もなかろう、との上からの指令で、この任務は終了となった。パートリッヂはそのご七年も消息不明だったのだから、〈UNCLE〉資料室のかれのデータは、「行方不明」からすでに「死亡」の棚へと移されていたほどだった。

イリヤ失踪時の目撃情報は、やまほど集まった。
NYの街なか、朝の通勤時間帯、だれも見てなかったら不自然なくらいだ。金髪碧眼で美形のイリヤはいやでも目立つうえ、ご自慢の最新モデルのオープン・カーまで運転していた。課長とソロが苦笑したことには、女性の目撃証言ばかり、異様に多かった。おまけに例の、見なれぬ真赤な二階建バスとくる。わざわざ通行人に、さあ記憶に残せ、といわんばかりの大胆さだった。
目撃情報を継ぎ合わせてみると、こんな感じだった。

……イリヤは「デル・フローリアス」前に車を止め、降りようとした瞬間、英国人らしき上品な老人とぶつかった。はずみで老人のアタッシェ・ケースが開き、中身が散乱してしまった。イリヤはていねいに詫びつつ、手ばやく中身を集めて渡し、老人は礼を言って立ち去った。しかし老人が去ったあと、イリヤは道ばたに落ちていた本を見つけた。イリヤは老人の遺失物と思い、手渡そうとしてあとを追った。しかし老人は、イリヤが声をかけたのに気づかず、二階建バスに乗っていってしまった。イリヤはためらわず、走り出したバスを追いかけ、飛び乗った……。
これ以降、イリヤを見た者はない。状況からみて、このバスで連れ去られたらしいのは、あきらかだった。

「なんとまあ、あきれるほど大胆で、しかもずさんな犯行じゃなあ」
報告を聞き、課長は当惑顔になった。
「どう考えても、成功率が低すぎる。イリヤはしつけのいい子じゃから、遺失物を届けるのを面倒がるようなことはせんとしてもだ。何かの事情で急いどるかもしれんから、イリヤが必ず追って来て、届けてくれるとはかぎらん。老人が立ち去る前に、イリヤが落ちている本を見つけてしまうかもしれん。老人がバスに乗ってしまったのを見て、イリヤが追うのをあきらめてしまうかもしれん。成功したのが、ふしぎなくらいじゃな。いったい、奴は何を考えとったんじゃろう?」
「考えられる答は、ひとつですね」ソロは指を一本立ててみせた。
「ためしにやってみたんです。ダメでもともと、成功すればもうけもの、ってね。もちろん、いくつか別の手段も考えてたはずだ。つまり、奴は犯行を楽しんでるんです」
「なぜ?」
ソロは肩をすくめた。「ヒマなんでしょ。目撃された人相風体からして、どうやらその英国紳士は、パートリッヂ本人らしいですからなあ」
ソロは笑いながらそう答えたが、課長は笑わなかった。
「イリヤもイリヤじゃな。ふだんこのへんで見慣れぬバスにいきなり飛び乗るなんて、諜報部員としてはいささか軽率じゃったな……」
「いや、かえってそこが、ねらい目だったんじゃないですか。あんなめだつバスが、朝っぱら、街なかを堂々と走ってたんですよ。ぼくが目標にされたとしても、まず警戒しなかったと思います。べつにイリヤをかばうつもりもないですが……」
「なるほどな」
「しかし、なぜ七年も経った今ごろになって復讐を、ってのも気になりますな」
「ふーむ」

その後、届けられた報告に、課長とソロは絶句し、しまいに笑い出してしまった。
〈UNCLE〉ロンドン本部に依頼し、れいの二階建バスの出所をつきとめさせた報告があがってきたのだ。それによるとパートリッヂはどうやら、二階建バスをチャーターし、莫大な輸送費をかけてわざわざNYまで運んだらしい。さらに、それをまるごとフェリーに乗せ、英国まで持ち帰らせる、という豪快さだった。
「そ……ソロくん、笑いごとじゃないぞ。可愛い相棒が心配じゃないのかね」
「課長だって笑ってるじゃないですか。可愛い部下が心配じゃないんですか」
「ソロくん、さっきダメモトとか言っとったな。ダメモトの計画のために、ここまでするかね。それにしても、なんと豪気な。そりゃまあ、拉致したイリヤを、一般人とおなじ飛行機や船にも乗せられまいが……」
「やってみたいですなあ、こんな馬鹿々々しいムダづかい。一生に一度ぐらい」
ひとしきり笑いにむせんだあと、課長はあらたまった口調で言った。
「さすがじゃなソロくん、きみの言ったとおりらしい。これは趣味の犯罪じゃよ。でなけりゃ、とうてい理解できん。イリヤ一人を拉致するために、ここまでするとは……」
おそれいります、と軽くうけ流し、こんどはソロが訊いた。
「しかし、奴が復讐しようと、ぼくをつけ狙うなら、まだ判ります。あのころ相棒だったハンクはケガで車椅子の身になって引退したけど、ぼくはまだ現役の諜報部員ですからね。……なぜ、まだ会ったこともないはずのイリヤを?」
「うむ、そうじゃな。どう考えても、これは初手からイリヤ一人を狙った犯行じゃものなあ……」
不安な視線同士が一瞬、宙でぶつかった。
「課長、たぶんパートリッヂは、恨みかさなるぼくと組んでる新米を、わざと手間ヒマかけて拉致したんでしょうな。めいっぱいカネを浪費しつつ、面白半分で。ぼくへの嫌がらせと、〈UNCLE〉への派手な宣戦布告を兼ねたつもりで。しかし、自分が拉致したのが、どんな危険なシロモノか、まだ知らない。こりゃ本当に笑いごとじゃないんじゃないですか?」
「うむ……なにしろ、相手がイリヤじゃからなあ……」



翌日になって、〈UNCLE〉NY本部に、ふたたび小さな果樹の造花が届いた。こんどの玩具の小鳥は、こんなことばをさえずった。

『ヰリヤ君は目下、健康状態、頗(すこぶ)る良好。勝手ながら、我が屋敷でのしばしの滞在を御承諾頂いた。我が愚妻も、かれを大変、魅力的な青年と、いたく気に入つておるよ。ついてはソロ君、貴殿も是非、英国の我が屋敷ポーロツク館まで御招待申上げたし。 頓首謹言 パートリツヂ拝』

枝には、こんどは身分証明書の代りに、封筒がくくりつけてあった。
中身は、何枚もの写真だった。年代物の古風な写真機で撮影したらしく、カラーでなくモノクロだが、ピントは固く、鮮明に撮れている。組み写真となっていて、順に見ていけば、何が起きたか判るようになっていた。課長とともにめくって見ていくうち、ソロはしだいに背筋が冷たくなるのをおぼえた。

一枚めは、例の二階建バスの内部らしい背景。椅子に寝かされ、眼を閉じているイリヤ。
そばにパートリッヂが立ち、英国紳士らしく細く巻いた傘を手にし、その先端をイリヤの首筋に向けている。どうやら背後から麻酔弾を打たれたらしい。もう片手には、大判の本を持っている。例の、イリヤがバスに飛び乗ってまで届けてやった、小道具に使った本だろう。ひとの好意を逆手にとりやがって……見ているうちに、ソロは怒りで胸がむかつくのをおぼえた。

二枚めは、船の中らしい。水平線の見える丸い船窓の前に、がっしりした椅子が据えられ、こちら向きにすわっているイリヤ。麻酔のせいか、船酔いのせいか、気分の悪そうな顔で、ぐったりと背もたれによりかかっている。……イリヤの手首と足首にはそれぞれ手錠がかけられ、それらは繊細な印象の、きゃしゃな金の鎖で繋がれていた。こんな場合にさえ、実用一点ばりの無骨な鎖などは用いないのが、パートリッヂのこだわりらしい。
パートリッヂは得意げに、椅子の横に、寄り添うように立っている。まるで記念写真きどりだ。

三枚め、背景は英国らしき田園風景。さきほどとおなじ、細い鎖でつながれだ手錠・足錠すがたのイリヤが、パートリッヂと並び、クラシック・カーの後部座席にのりこんだところ。車は博物館にでも行かないと見られないような、観音開きの扉をもつ、車というより、馬車に近いような優雅な形のもの。イリヤは少し体調を回復したようすで、すねたような顔で、カメラをにらみつけていた。

この写真を見た瞬間、ソロは思わず、ため息とともに口走った。
「ああ、こんな状況でさえなかったら、こんなめずらしい車に乗せてもらえたらイリヤ、さぞ喜んだろうに。あいつ、マシン狂ですからね」
「かわいそうにのう……」

次をめくってみた瞬間、課長とソロは、思わずうなり声を上げた。
背景は、時代がかった建物の内部らしき場所。
松明をかかげた石造りの壁、その壁の、古風な手枷につながれたイリヤ。となりには白骨化した遺体が、おなじように手枷につながれたままでいる。周囲には、中世の錆びた拷問具らしきものが、いくつか映っている。疲れたのか、眠っているのか、うつむいて眼を伏せたイリヤは、見るからにいたましかった。
この拷問部屋での写真だけは、数枚、つづいていた。正面から、横から、そしてぐっとカメラが寄り、闇に浮かびあがるイリヤの横顔の大写し。イリヤはあえてカメラを見るまいとするように、顔をそむけていた。そして、仰角の角度で、下から撮ったもの。イリヤは憮然とした眼つきで、カメラを見下ろしていた。

写真はこの拷問部屋のもので、終っていた。
すべての写真を卓上に並べ、課長とソロは、しばし暗い顔でだまりこんでいた。やがて課長が、ようやく重い口を開いた。
「……ソロくん、どう思うかね?」
ソロは慎重にことばを選びつつ、口を開いた。
「かなり危険な状態ですね。とくに最後の数枚は……まずいな……」
「いちおう別の可能性も考えてみよう。われわれへの嫌がらせなら、ここはいちばん効果的な背景じゃし。暗くて撮れてないと困ると思い、念のため何枚か撮ったとは考えられんか。パートリッヂは古いカメラを使っとるようじゃし、ここは囚人向けの地下室らしいから、一日じゅう自然光が入らん。つまり、松明しか照明がないんじゃろうし」
「でも、パートリッヂの奴が、いっしょに映ってないでしょ。前半は奴がいっしょに映ってる、つまり使用人にでもシャッターを押させてるんです。でも、ここだけは奴が、自分の手で、つまりイリヤと二人きりの状況で撮ってる。見てくださいよ、この後半の数枚の、構図の凝りかた。しかもカメラはどんどんイリヤに接近してってます。復讐のための嫌がらせなんてこと、もう忘れてます。イリヤを撮ることそのものに奴が熱中してるのは、あきらかだ」
「……」
「しかも、わざわざぼくらに、こんなに何枚も送りつけてきた。ぜひ見せたかったんでしょうね、見事な作品ですもの。奴、いい腕してますね。この横顔の大写しや、仰角のなんて、まるで映画のスチール写真だ。焼増したら、〈UNCLE〉の女子局員相手に、いくらでも買い手がつくでしょうよ」
しばし沈黙ののち、二人は、同時につぶやいた。
「危険じゃのう……」
「危険ですねえ……」
「イリヤが、というより」
「ええ。パートリッヂが……」
「イリヤが滞在を承諾したってのは、どういうことじゃろうな? また、奴の女房もかれを気に入ってるというのは?」
「見当もつきません。ただ、なにやら不吉な予感がしますな」
課長も、ソロも、腕組みしてしばし考えこんだ。やがてようやく、課長が決定的な一言を口にした。「……行ってくれるかね、ソロくん? あえて奴の招待に応じて」
「行くしかないでしょ? 止められたって行きますよ、ぼかぁ。いま、パートリッヂが何を考えてるか、興味深々ですもの」
「……そうか。じゃ、パートリッヂのいる、ポーロック館とやらの場所が判明しだい、行ってくれんか。すでに〈UNCLE〉ロンドン本部に、調査は依頼してある。くれぐれも慎重にな。イリヤさえ無事なら、解決はむりに急がんでいいからの」
課長はけだるい口調でそう言うと、疲れたのう、ちょいと休憩、とつぶやきつつ部屋を出ていった。一人残されたソロは、頬づえついて、写真のイリヤに話しかけた。
「やれやれ、手のかかる子だねえ。安心おし、だれにもこの写真は見せないから。……言っちゃなんだが、こんないたましさがホントよくお似合いよ、お前さんは」

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