神聖ヰリヤ帝国・TOPへ英国の田園に建つポーロック館の“迷路”にかくされた、生ける宝物。
それは、もちろん…?

失楽園之記 〜ポーロック館のパートリッヂ一族〜

四、

翌日の昼餐のあと、ソロは自信満々の笑みをうかべ、迷路の入口に現れた。丈長のインバネス・コートを、ふわりと着こんでいる。パイプをふかしつつ、パートリッヂは好奇心をたたえた視線を向けた。
「なにか秘策をかくしていそうだね。そのコートの下に」
「ええ、まあ」
「台所から、何か持ち出したかね?」
「はあ……ささやかなものを、いくつか、ちょいと拝借つかまつりました」
「そうだろうな」パートリッヂはパイプを口元から離し、パイプの先で台所を示した。
「さきほどから、台所番の娘が思い入れたっぷりの眼で、窓からきみをじっと見つめておるよ」
「失敬。ささやかな頂戴物には、じつは、彼女の唇も含まれておりまして……」
ソロは宮廷道化のような大げさな身振りで、おどけて頭を下げた。パートリッヂは笑った。
「宜しい。私はイリヤとともに、あの部屋できみをお待ち申し上げる。前回とおなじ、午後のお茶の時間までにだよ。でないと、マデラインのご機嫌をそこねるからね。では、健闘を祈る」

迷路の通りかた、その初歩。つねに一方の壁に片手を触れたまま進むべし。そうすれば、同じ道を二度通らずにすむ。……この基本ルールが、仕掛けだらけのこの迷路では、初回はなかなか守れなかったが、二度めともなるとさほど困難でもない。むしろ何もない、繁みだけの単調な眺めより、仕掛けのある通路は、前回入ったとき通ったかどうか思い出しやすい。前回の半分くらいの速さで、見覚えある仕掛けをすべて通過することができた。
やがて、聞きおぼえある唸り声が聞こえてきた。来た。……いちばんの難関、れいのオオカミだ。通路の行く手にそのすがたが見えてきたとき、ソロは思わずつぶやいた。
「はいはい、お待ち申しあげておりました。……おっと、忘れちゃいけませんね」
ソロはハンカチを取り出し、それまで触れながら進んできた側の繁みに結びつけた。乱闘のあげく、どっちの方向から進んできたか判らなくなるおそれがある。それでは、ここまでの苦労が水の泡になってしまう。
そのあと、すばやくコートを脱いだ。ゆうべ寝室から失敬しておいた枕がころがり出た。これをぐるりと左腕に巻きつけ、さらにその上からコートをぐるぐる巻きつけ、コートのベルトでしっかり縛りつけた。その左腕を突き出し、オオカミに向かってじりじり近づいていった。オオカミは戦闘態勢をとり、しきりと唸っている。どうやら今日も腹を空かせているらしい。
「オオカミなんて、飼い慣らされてない猟犬みたいなもんですよ。……おっと!」
オオカミがいきおいよく飛びかかってきて、ソロの左腕に牙を立てた。コートの上からぐいぐい、深く喰いついてくる。
「オオカミさんの最大の武器は、この牙ね。しかし、このいけない、お口さえ封じてしまえば……」
深く、しっかり喰いつかせたところで、ソロは右手をポケットに突っ込み、ポーロック館の台所から拝借したもののひとつを、取り出した。……すなわち、胡椒のビン。器用に片手だけでフタを開け、オオカミの眼と、鼻先めがけ、盛大にぶちまけてやった。
ぎゃんぎゃん吠えながら、オオカミもたまらず逃げていったが、ソロもしばらくクシャミが止まらなかった。ちょっとばかり景気よく撒きすぎたようだ。
オオカミの牙でずたずたにされたコートと枕を振り捨てて歩いてゆくと、通路の先に、このまえオオカミをけしかけてきた男が、前回とおなじようにライフルを手に、ゆらりと立ちふさがった。
「おれの可愛いオオカミをいじめやがったな、この野郎。帰れ」
「失礼ながら今回はそうはまいりませんねえ」
ソロは面白そうに笑いながら、ジャケットの下に隠しておいたものを取り出し、見せた。
「なんだ……それは?」
「ここへ来るとちゅうの通路から、拝借してきたものです、よ」
言いながら、すでに手元から、ひょうと相手めがけて飛ばしたものがあった。
「針金に足ひっかけると、繁みから矢が飛び出す仕掛け……この繁みの中の仕掛けをちょいと拝借すると、一対の小いちゃな弓矢が手に入るんです。台所から拝借したキッチン鋏(ばさみ)だけで、仕掛けから取りはずすのは、いささか大変でしたけどね」
矢は、男の眉間に命中した。刺さりはしなかったが、痛みで目がくらんだ男にとびかかって投げ飛ばし、とどめに後頭部に手刀で一撃くらわせ、あっさり失神させた。
「4秒フラット。……いまのは、〈UNCLE〉養成所の教官殿に、見せてさしあげたかったな。さてと、このライフルは戦利品として、頂戴しときますよ」

残りの通路も、さまざまな仕掛けはあったが、あとはさほどの困難もなかった。
やがて通路の奥に東屋(あずまや)と、そのわきに、小さな石碑が建っているのが見えてきた。石碑にはギリシア語で、迷路の由来らしきものが刻まれていた。
……あとは、隠し通路への入口を開く合言葉を見つけるだけか。智慧をめぐらし、正しき手順を踏まねば開かず、か。うろおぼえのギリシア語の単語を、思いつくまま石碑に触れてみたが、びくともしない。太陽の位置を見ると、そろそろ午後のお茶の時間が近いのが判った。
おちつけ、おちつけ。気をしずめろ。煙草を取り出し、ゆっくりふかした。ええと、パートリッヂは昨夜なんて言ったっけ?
「智慧なき者、触るるを許さず、か……どっかで聞いたような文句だな……?」
そう言いながらかれは、人差指を立て、唇に当ててみせたっけ。あのしぐさの意味は……?
煙草を数本けむりにしたあと、ソロはぱちんと指を鳴らした。
「……『黙示録』か! 『ここに智慧、必要となれり。思慮ある者は、獣の数字を解くべし。そのものとは人であり、その数字とは、六六六』……」
石碑の文章の、頭から「D−C−L−X−X−T」……すなわちギリシア数字の「六百六十六」をひろい、順に触れてゆくと、石碑ぜんたいがぐらりと動き、どこか遠くで水が流れる音がしはじめた。古式ゆかしき、水力のカラクリか。会心の笑みをうかべるソロの目の前で、東屋の床が動き出し、やがて、ぽっかり暗い口を開いた。
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